【真説 鎌倉殿の13人】源義経が一ノ谷の戦いで行った奇襲・逆落としの真相は三種の神器の奪回にあった【後編】 (2/5ページ)

Japaaan

義経が行った逆落としの真相を探る 「逆落とし」の場所は一ノ谷の背後か鵯越か

逆落としの奇襲による源義経の働きで大勝利を挙げた源氏軍。実は義経が逆落としを行った場所には2つの説があるのです。

一つは一ノ谷の背後の鉄拐山(てっかいさん)とする説。もう一つは『平家物語』『吾妻鑑』に描かれた鵯越(ひよどりごえ)とする説です。上の図のように鵯越は福原の背後に位置します。

義経が行った奇襲「逆落とし」は一般に「鵯越の逆落とし」と呼ばれています。そうなると義経軍は安田義定とともに鵯越から平通盛が守る夢野口を攻めたことになるのです。

しかし、『鎌倉殿の13人』では、先に述べたように一ノ谷の背後の鉄拐山説をとっています。では、一体どちらが正しいのでしょうか。

まず考えたいのは、源氏本軍が陣取った生田口からそれぞれの候補地までどれ位の距離があるかということです。現在の道筋になりますが山側を通った場合、生田口から鉄拐山までは約18キロ鵯越までは約5キロの距離になります。

2月7日午前8時に生田口で源範頼軍と平知盛軍が戦端を開きます。これが合戦の開始となる「矢合わせ」ですので、ほぼ同時刻に夢野口、塩屋口でも戦闘が始まったとみるべきではないでしょうか。

この時点で、義経がいたと考えられるのは、生田口・鵯越・鉄拐山の3カ所です。

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