こんな人生ツラすぎる…平清盛に捨てられ、娘も奪われた巫女・厳島内侍が土肥実平との結婚に至るまで (2/4ページ)
当時の清盛は平治の乱(平治元・1159〜永暦元・1160年)で政敵らを一掃、まさに向かうところ敵なしの絶頂期。
彼女としても、いつまで芸能稼業が続けられるとも分かりませんし、引退後のパトロン候補として悪い相手ではありません。
(まぁ、下手に断ったら後で面倒そうだし、そもそも条件だけならこれ以上の相手はいない=断る理由がないでしょう)
で、晴れて清盛の寵愛を受けた厳島内侍。しかし男心は……の例に洩れず、あっさり飽きてしまった清盛は、彼女を家人の平盛俊(もりとし)に下げ渡してしまうのでした。
二度目の結婚・生まれて間もない娘と引き離される「そなたの忠功に報いるべく、この美女を授けよう」
「身に余る御厚恩、ありがたき仕合せにございまする……が、こちらの御方はいささか身が重いのでは……?」
それもそのはず、このとき厳島内侍は清盛の子を妊娠中でした。どういう神経をしているのでしょうか、まったく偉い人のお考えというのは分からないものです。
「大丈夫、生まれた子供は引き取るから。そなたはそなたで遠慮なく子作りをせい」
「いや、そういう話では……」
果たして長寛2年(1164年)に女児が誕生。約束どおり清盛が引き取ったのですが、生まれてすぐに娘と引き離された厳島内侍の悲しみは察するに余りあります。