いざ奥州征伐、泰衡討つべし…梶原景時の息子たちが陣中で詠んだ名歌を紹介【鎌倉殿の13人】 (2/4ページ)
「そろそろ秋か……源太よ、白河と言えば能因法師(のういんほうし)を思い出すのぅ」
能因法師は中古三十六歌仙の一人で諸国を漫遊、白河の関でこんな和歌を詠んだのでした。
都をば 霞とともに 立ちしかど
秋風ぞ吹く 白河の関【意訳】京都を出発したのは霞匂う春だったが、白河の関に着いたらもう秋風が吹いている≒気づけば遠くへ来たものだ。
感慨にふける頼朝へ、景季はその場で即興の一首を献じます。
秋風に 草木の露を 払はせて
君が越ゆれば 関守もなし【意訳】かつて能因法師の感じた秋風が、お裾を濡らす露を払ってくれました。あなた(頼朝)がお越しになると聞いて、何人たりともその行く手を阻めますまい。
……あなたが行くところ、森羅万象すべてが味方。その御意に叶わぬものなどございませぬ。
能因法師&白河関と聞いて「秋風」と受けた当たり、平素から和歌の素養を身に着けていたことが判ります。
若者らしく清々しい秋風のような一首。当意即妙なる景季の歌才に、頼朝は感銘を受けたことでしょう。
渡して懸けん 泰衡が頸……平次景高の詠んだ陰惨な陽気さとは言え、さすがにまったく無抵抗だった訳ではなく、泰衡の軍勢も奥州の意地を懸けて激しく抗戦。しかし衆寡敵せず、次第に鎌倉方へ寝返り投降する者が続出します。