「鎌倉殿の13人」源頼朝、30年ぶりの上洛!そして征夷大将軍に…第22回放送「義時の生きる道」予習 (2/6ページ)
「これからも、院を扶翼し参らせよ」
「ははあ……及ばずながら、院の御為に粉骨砕身いたしまする」
続いて11月24日には右近衛大将(うこのゑのたいしょう/ちかきまもりのつかさのかみ)を兼任するよう綸旨が下されます。
常設武官の最高位であり、武士としてこれ以上の名誉はない官職と言えるでしょう。
「これからも、院を護持し参らせよ」
「ははあ……及ばずながら、院が御為に粉骨砕身いたしまする」
……しかし、頼朝は12月3日にどちらの職も辞任してしまいます。せっかくの栄誉なのに、どうしてでしょうか。
さすがの大天狗も面食らった?頼朝の掌返し権大納言も右近衛大将も、その目的上京都にいなければ務まりません。
つまり後白河法皇は頼朝を「ずっと京都で抱え込みたい」思惑をもって両職を与えたのですが、頼朝は「その手は食うもんか」と拒否したのです。
「それなら最初から断ればいいじゃないか!」
後白河法皇の抗議が聞こえて来そうですが、貰える官位は貰っておくに越したことはありません。
なぜなら「一度貰ってしまえば、たとえその後に返上しても、貰った官位に相応しい実力を備えている」ことのお墨付きになるからです。
これはかつて頼朝が伊豆に流された時も、既に授かっていた右兵衛権佐(うひょうゑごんのすけ)のステイタスを最大限に活かしたのと同じこと。