「鎌倉殿の13人」源頼朝、30年ぶりの上洛!そして征夷大将軍に…第22回放送「義時の生きる道」予習 (4/6ページ)

Japaaan

せっかく魚を釣ろう(頼朝を取り込もう)としていたのに、まんまと餌(官職を受けたという事実と名誉)だけ持っていかれた後白河法皇。頼朝に一本取られてしまったのでした。

頼朝が「征夷大将軍」となった理由

その後も12月14日に京都を去るまで、頼朝と後白河法皇は計8回におよぶ会談を重ね、日本国総追捕使(そうついぶし。あらゆる謀叛人を討伐する役目)と総地頭(日本全国に地頭を設置する地位)が恒久化されます。

現代の感覚で言えば全国あまねく警察権が行きわたり、頼朝が日本国の平和と安全を守ることが公式に認められたのでした(加えて、守護の任免権も与えられました)。

12月29日に鎌倉へ戻った頼朝たち。やがて建久3年(1192年)3月に後白河法皇が崩御(ほうぎょ。亡くなること)。7月12日に頼朝は征夷大将軍に任じられます。

これはかねて頼朝が「大将軍」の地位を求めたところ、朝廷では4つの案が検討されていました。

一、惣官(そうかん)
一、征東大将軍(せいとうだいしょうぐん)
一、上将軍(じょうしょうぐん)
一、征夷大将軍

惣官とは「すべてをすべる者(官)」を意味し、以前に平家政権で用いられていました。滅亡したから縁起が悪いですね。

次に征東大将軍。これは「東国の賊を征伐する者」を意味し、こちらは以前に木曽義仲(演:青木崇高)が任じられていました。これも滅んでいるため縁起がよくありません。

今度は上将軍。単に大将軍の唐名(とうみょう。

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