横浜中華街はどうして生まれたの?現在の「おいしい中華街」が完成するまで (2/3ページ)

Japaaan

しかし、この中華街が、現在のようなおいしい料理店が立ち並ぶ街並みへと変わっていくには、明治維新を待つ必要がありました。

開港から少し経ち、日本の文明開化が始まると、日本各地で外国との交流が行われるようになり、貿易業は横浜だけのものではなくなります。

すると、横浜の中華街に住む華人の仕事も、それまでのように貿易業や、貿易の仲介役だけではなくなっていきます。

当時、彼らが特に得意としていた職業には「料理人」「理髪師「仕立て屋」の3つがありました。

それぞれ包丁、剃刀、鋏を使うことから「三把刀(さんばとう)」と呼ばれていたそうです。

このうち、特に料理人は当時から大いに活躍していました。横浜は中国本土からも食材が調達しやすく、また中華料理の需要も高かったのです。

戦後に完成した「横浜中華街」

さらに時代が下り、1945年5月。戦争によって横浜の中華街は大ダメージを受けます。同年8月に終戦を迎えて復興が始まった時、ここでも活躍したのが華人でした。

彼らは終戦後すぐに自治組織をつくり、配給物資の取りまとめなどを行い、中華街の復興に尽力したといわれています。

料理人たちも、配給の小麦粉や砂糖を使って揚げドーナツを作り、焼け野原の上にバラックを立てて商売を始めました。

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