横浜中華街はどうして生まれたの?現在の「おいしい中華街」が完成するまで (1/3ページ)

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横浜中華街はどうして生まれたの?現在の「おいしい中華街」が完成するまで

横浜中華街の起源は「華僑・華人」

皆さんは、横浜の中華街には行ったことがありますか?

行ったことがない方でも、テレビなどで一度は見聞きしたことがあると思います。

日本国内だけど異国情緒たっぷりの街、そしておいしそうな料理の数々。わくわくしますね。

だけど、そもそもなぜ「横浜」に「中華街」があるのでしょう?

その歴史や成り立ちを紐解いてみます。

横浜中華街は、今から約160年前、1859年の横浜港の開港に始まります。当時、横浜には西洋諸国からたくさんの人・物・文化が流れ込んできていました。

この時、西洋諸国の商人と日本人の間を取り持ったとされるのが、中国本土から日本に移住してきた「華僑・華人」と呼ばれる人々です。

彼らはすでに香港や広東、上海などの西洋商館で西洋人と交流を深め、いち早くその文化や言葉を理解していました。もちろん、日本人との交流もすでに多くありました。

一方、当時の日本人の多くは西洋の言葉を自由に扱うことができず、また逆に西洋の商人たちも日本語はうまくできません。

そこで、華人が通訳となることで取引はスムーズになり、華人は貿易の仲介役として大変重宝されたのです。

明治期に活躍した「三把刀」

また横浜の地形や街並みは、中国からやってきた人々に「風水」の観点から好まれたとも言われています。

こうして、横浜には多くの華人が移り住み、彼らのコミュニティとしての中華街が形成されていきました。

さまざまな国との貿易によって異国情緒溢れる街並みが形成され、さらに貿易の要である華人たちの町「中華街」が横浜にできていったのです。

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