横浜中華街はどうして生まれたの?現在の「おいしい中華街」が完成するまで (3/3ページ)

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中国の揚げ菓子・麻花(マーホア)

そして高度経済成長期になると、1972年の日中国交正常化によって、日本では「パンダ、ニーハオ、芽台酒(マオタイシュ)」を掛け声とした中国ブームが起こります。

その影響もあり、横浜の中華街にはさらに多くの人が訪れるようになりました。

こうして、最初は貿易に携わる華人の居住地だった横浜の中華街は少しずつ変化していき、現在の街並みへと発展したのです。

私たちが慣れ親しんだ横浜中華街にも、古くからの歴史があることが分かりましたね。

もしも足を運ぶ機会があったら、歴史の奥深さに思いを馳せてみるのもいいかも知れません。

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