本能寺の変に「黒幕」はいたのか?たぶん明智光秀の単独犯行だった「四国政策転換説」を紹介【後編】 (2/5ページ)
更に別条なきに候」
【意訳】我らがこのような謀叛を起こしたのは、ご嫡男の細川忠興(ただおき)殿を立身出世させるためであり、他に理由もないのです。
信長の死を知るや、光秀に与せぬ意思を示すため出家した藤孝。「絹本着色細川幽斎像」
……そんなバカな。もちろんこんなものは藤孝を勧誘するためのご機嫌取り以外の何物でもありません。真に受けるべきではないでしょう(実際、藤孝も相手にせず、疑われぬよう信長を哀悼するため出家しています)。
ここで大事なのは、光秀は親しい藤孝にすら事前に計画を洩らしていなかったこと。娘婿である津田信澄(つだ のぶずみ)にも計画を知らせた形跡がなく、頭数を増やせば増やすほど、機密が漏洩するリスクを光秀も心得ていました。
そんな状況下にあって、秀吉でも家康でも義昭でも朝廷でもイエズス会でも何でもいいのですが、光秀が「黒幕」と連絡をとりあっていた(信長暗殺を共謀していた)と考えられるでしょうか。
では、なぜ光秀は信長を討ったのか?本能寺の変に「黒幕」がいないとしたら、光秀は自らの意志で信長を討ったことになります。それでは、なぜ光秀は信長暗殺を考えるようになったのでしょうか。
その原因として、近年では信長の対四国政策が影響しているという説が唱えられています。