本能寺の変に「黒幕」はいたのか?たぶん明智光秀の単独犯行だった「四国政策転換説」を紹介【後編】 (1/5ページ)
前編のあらすじ
本能寺の変に「黒幕」はいなかった……これまで「黒幕」の動機だけが語られ、その計画などには具体性・実現性がありませんでした。
謀叛を成功させるために必要不可欠な条件が揃ったのはあくまでも偶然であり、「黒幕」がそれを事前に計画するのは不可能だったと言えるでしょう。
ともあれ、信長の油断によって生み出されてしまった千載一遇のチャンスを逃さず、光秀は信長暗殺を成功させたのでした。
前回の記事
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「彼(光秀)は信長ならびに世子(信忠)が共に都に在り、兵を多く随えていないのを見て、これを殺す好機会と考え、その計画を実行せんと決心した」
とイエズス会に報告した状況になったのですが、この状況は事前に計画してつくり出せるものではないため、文中の「計画」とはほぼ思いつきに近いもの。黒幕たちと事前に練り上げていた計画ではないでしょう。
また光秀は本能寺の変を起こした後、かつて足利幕府の同僚であった細川藤孝(ほそかわ ふじたか。幽斎)を説得しようと書状を送っていますが、そこにわざわざ謀叛の動機を書いているのです。
「我等不慮の儀存じ立て候事、忠興など取り立て申すべきとての儀に候。