文武両道に優れた徳川家康の寵臣・石川丈山は朝廷へのスパイ役だったのか? (2/4ページ)

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そして、1641(寛永18)年、洛北の一乗寺村に凹凸窠(詩仙堂)を建て、終の棲家に定めます。

丈山は、ここで隠者の生活を送り、鷹峯の本阿弥光悦や小堀遠州ら当代の文化人たちと交わりながら、90歳の生涯を閉じるまで暮らしました。

丈山は、江戸初期の漢詩を代表する人物で、儒学・書道・茶道・庭園設計にも精通し、煎茶の祖ともいわれるほど、各道において第一級の文化人だったのです。

丈山が隠棲した凹凸窠(詩仙堂)とは

石川丈山が隠棲した山荘・凹凸窠跡の寺院で、1階の詩仙の間・至楽巣・躍淵軒の3室と2階の嘯月楼からなります。

作庭の名手丈山の手による庭は、白砂に躑躅をあしらった四季折々に美しい唐様庭園でも有名。詩仙の間に座し、庭を眺めるのもよし、庭園に降りてゆっくり散策するのもおすすめです。

詩仙堂の庭園。(写真:T.TAKANO)

丈山はなぜ詩仙堂を構えたのか

江戸初期を代表する文化人の丈山だが、実は昔から幕府のスパイ説が囁かれていました。

この時期、幕府と朝廷は大変な緊張関係にあったのです。2代将軍徳川秀忠は、『禁中並公家諸法度』を制定し、朝廷を締め付け、紫衣事件などで圧迫しました。

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