文武両道に優れた徳川家康の寵臣・石川丈山は朝廷へのスパイ役だったのか? (3/4ページ)
朝廷を圧迫する政策を行った徳川秀忠。(写真:Wikipedia)
これに対し、後水尾天皇は幕府に諮ることなく1629(寛永6)年に興子内親王に譲位します。興子内親王の母は秀忠の娘和子が入内して生んだ内親王なので、徳川の血を引く天皇が誕生したかに見えますが、実はそこに後水尾天皇の意図があったのです。
幕府の干渉に対し徹底抗戦を行った後水尾上皇。(写真:Wikipedia)
それは、女帝は生涯独身であるのが習わしであり、徳川の血が代々皇統に流れるのを防いだことになるのです。この後水尾天皇の譲位に秀忠は激怒したと伝わります。
詩仙堂の位置は、後水尾天皇が造った修学院離宮がすぐ北にあり、京都所司代の板倉勝宗もたびたび詩仙堂を訪れています。
徳川幕府の創設期であり、朝廷との緊張関係が続く折から、丈山は京都の見張り役、つまり幕府側のスパイをしていたのではないかといわれているのです。物見櫓のような小楼・嘯月楼からは洛中一帯を見下ろせるため、この櫓をして狼煙台とする説もあります。