「鎌倉殿の13人」ここでタイトル回収!宿老たちの合議制に頼家が反発…第27回放送「鎌倉殿と十三人」予習 (2/5ページ)
其外之輩無左右不可執申訴訟事之旨被定之云々。
※『吾妻鏡』建久10年(1199年)4月12日条
【意訳】もろもろの訴訟につき、源頼家が直々に裁決することをやめた。今後は北条時政・北条義時・大江広元・三善康信・中原親能(ただし在京)・三浦義澄・八田知家・和田義盛・比企能員・安達盛長・足立遠元・梶原景時・二階堂行政らの談合で決定する。彼ら以外の者が許可なく訴訟を頼家に取り次いではならない、とのこと。
頼朝時代は訴訟の多くが頼朝の元へ持ち込まれ、頼朝がその是非を裁いていました。
もちろん現場で解決処理された案件も少なくないでしょうが、どうしても決着がつかない場合、最終手段として頼朝を頼ったのです。
現代の感覚で喩えるなら、最高裁判所的な存在だったのでしょう。御家人たちも「御所の仰せであれば仕方あるまい」と争いの矛を収めたのでした。
いざ自分がなってみて初めて解る「鎌倉殿」の重責。頼家も亡き父の偉大さを改めて実感したことだろう。
しかし勢力が拡大するにつれて訴訟の量は増え、内容も煩雑になっていきます。とても鎌倉殿だけでは負担が大きすぎ、まして人生経験も浅い頼家の判決では御家人たちにも不満が残るかも知れません。
そこで御所に上がってきた訴訟は13人(必ずしも全員ではなく、実際には内数名)で合議し、よほど重大な案件に限って頼家の決裁をもらい、些末なことは内々で収めようとしたのです。
【13人の合議制メンバーおさらい】
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