現世利益を求め願うことを仏教・神道・キリスト教はどう捉えているか (2/3ページ)

心に残る家族葬

春日大社宮司・葉室頼昭(1927〜2009)は神社での参拝では願い事ではなく、生かして頂いていることに「ありがとうございます」と感謝の言葉を心の中で唱えることを勧めている。考えてみれば三度三度の食事が食べられて苦しみながらも生きていられる生活は、戦地の情景を見れば奇跡のようなものである。まず感謝すべしだろう。

■現世利益に対するキリスト教の立場や歴史

キリスト教でも魔術、まじないを行う者は地獄行きである。聖書には「貧しい者は幸いです。神の国はあなたがたのものですから」(マタイ福音書6章20節)とある。貧しい者は現世において何も持っていない。彼らは神に頼る以外なくなる。現代人の感覚では貧しいからこそ神様にご利益を求めるという発想になってしまうが、イエス・キリストは貧しいからこそ執着せずに済み、天国に近づくということになる。イエスも後述の釈迦と同様、執着を捨てよと説いたのだった。いずれにしてもご利益を求めて参拝する現代人の意識とは違い、本来の宗教とは現世利益は相容れないのである。

■現世利益に対する仏教の立場や歴史

仏教も本来現世利益とはかけ離れた宗教である。苦しみ悲しみの原因とは、あれも欲しい、これが足りない、それは手放したくないという執着である。無いものを求めるから苦しむ。在るものを失うから悲しむ。この世の一切の執着を捨て、苦しみ悲しみから解脱せよというのが釈迦の教えである。しかし日本仏教は元々鎮護国家を目的とした呪術として請来された。スタートから既に現世利益が目的だったのである。

仏教において現世利益といえば密教が挙げられる。密教寺院は神社と並ぶ現世利益の双璧だろう。不動明王や鬼子母神など現世利益を請け負う天部・諸天は密教の支配下にある。寺院では加持祈祷による安産祈願や病気治癒、厄払い、水子供養など多種多様な現世利益を請け負っている。密教も仏法であるからにはそれが最終目標ではない。いきなり無執着や悟りなどを説いても民衆はついてこない。 まず現世利益を叶えて仏法の正しさを納得させ帰依させる。密教の究極は大日如来との一体化にある。呪術的行為は悟りへ導くための方便なのである。だが現代では祈祷を受けて御札を頂いて帰るだけで終わる。寺院側も特に仏法の真髄を説くことはない。

「現世利益を求め願うことを仏教・神道・キリスト教はどう捉えているか」のページです。デイリーニュースオンラインは、社会などの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る