現世利益を求め願うことを仏教・神道・キリスト教はどう捉えているか (1/3ページ)

心に残る家族葬

現世利益を求め願うことを仏教・神道・キリスト教はどう捉えているか

私たちが神社仏閣へ足を運び参拝する目的は何だろうか。その多くは何らかの祈願のためではないだろうか。家内安全、無病息災、商売繁盛、合格、子宝、安産、良縁…。所狭しと絵馬が掛けられ、おみくじが縛られている光景は境内の日常の風景である。神社仏閣に祈願成就を求めるのは本来の神道・仏教とは対極の行動なのだが。

■現世利益は呪術である

解決の糸口がつかめないウクライナ情勢に対して、日本の書家たちが平和への願いを込めて全国で一斉に筆をふるった。福岡県久留米市では書家が「和を以って貴しと為す」という意味の書を揮毫(きごう)した。長崎市では地元の高校生5人が縦およそ3メートル、横4メートルの紙に「一家団欒(だんらん)」の4文字を書き上げた。新潟県燕市では、書家らが生徒180人と一緒に平和への思いをしたためた書を奉納。この一斉揮毫はウクライナの平和を願う書家たちが企画したもので、全国の寺院38カ所で実施された(テレ朝NEWS「全国で書家らが一斉揮毫 ウクライナの平和を願い…」より抜粋)。

これらはすべて寺院で行われたようで「平和への祈り」はつまり平和になってほしいという「利益」を求めての宗教行為といえる。そして願いを叶えるための宗教行為は「呪術」的な様相を孕む。古来より神仏に依ってこの世における祈願成就、つまり「現世利益」を求める行為を「呪(まじな)い」と呼ぶ。現世利益とは「呪術」「魔術」の対象であった。恋愛成就も合格祈願もこの世ならざる存在にこの世の幸福を願う呪術である。平和への祈りを呪術とは何事かと憤慨する向きもあるかもしれない。もちろん平和を願う想いは尊い。呪術には切なる想いが込められている。否定されるべきものでないが、同時に宗教の本義とは異なることも認識しておくべきだろう。

■現世利益に対する神道の立場や歴史

神道の発祥は大自然の脅威と恩恵に対する畏敬の念であった。現代の神社は現世利益の代理店のような存在だが、総本山たる伊勢神宮では個人の願い事は慎まなくてはいけないとされる。

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