日本の政治家もテロ・暗殺の危険と隣り合わせ!?いま紐解く暗黒の近代史【戦前編】 (3/4ページ)
また、続く1889(明治22)年10月18日には、閣議を終えて霞ヶ関の外務省官邸に入ろうとした大隈重信が、爆弾を投げつけられて右足を負傷。膝上からの切断を余儀なくされました。
五・一五事件と二・二六事件そして1932(昭和7)年の2~3月にかけて発生したいわゆる「血盟団事件」では、前の大蔵大臣だった井上準之助と、三井財閥の総帥である団琢磨が相次いで殺害されました。
先にもご紹介しました「五・一五事件」は、この血盟団事件の第二陣として計画されたものです。
廷内で深編笠を被る血盟団事件の被告(Wikipediaより)
また、永田鉄山軍務局長が暗殺される「相沢事件」に続いて発生した「二・二六事件」では、先述した高橋是清と斎藤実の他にも松尾伝蔵海軍大佐と渡辺錠太郎教育総監が殺害。さらに鈴木貫太郎侍従長が重傷を負い、前の内大臣だった牧野伸顕も襲撃されています。
ちなみに、エッセイ集『置かれた場所で咲きなさい』などのベストセラーがある渡辺和子さん(2016年12月30日に逝去)は、渡辺錠太郎の次女にあたります。