日本の政治家もテロ・暗殺の危険と隣り合わせ!?いま紐解く暗黒の近代史【戦後編】 (2/4ページ)

Japaaan

国全体が豊かになることで暴力による憎悪を減らし、さらに共産主義勢力の付け入る隙をなくす結果になったのでした。

ただ、その後ももちろん何もなかったわけではありません。

1963(昭和38)年7月15日には、当時の河野一郎建設相の自宅を右翼が焼き討ち。翌年には、ライシャワー駐日米国大使がナイフで襲撃され重傷を負う事件も起きました。

河野一郎(Wikipediaより)

首相に対する襲撃も起きています。1950(昭和25)年6月16日、三木武夫首相が日本武道館で佐藤栄作元首相の国民葬に参列していたところ、顔を殴られ軽傷を負う事件が発生。要人を警護する警視庁SP(セキュリティーポリス)が発足したのはこの事件がきっかけでした。

暴漢、銃撃、爆発物の90年代

また1959(昭和34)年3月8日には、後に首相となる自民党の宮沢喜一衆院議員がホテルニューオータニで暴漢に襲われています。

ただ、この時宮沢は30分も格闘し、上あごに軽い後遺症が残った程度で脱出することができたとか。実は宮沢喜一は格闘術の心得がある人で、こうしたエピソードがもとで格闘マンガの題材にもされています。

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