実は子だくさん!汚れ役もいとわない愚直すぎる武将・梶原景時の息子たち・後編【鎌倉殿の13人】 (4/6ページ)

Japaaan

彼らは梶原一族を怪しんで矢を射かけ(いきなり?誰何もしなかったのでしょうか)、血気盛んな廬原小次郎(いはら こじろう)や工藤八郎(くどう はちろう)・三澤小次郎(みさわ こじろう)・飯田五郎家義(いいだ ごろういえよし)が梶原一族に襲いかかります。

「是非もない……かかれ!」

景時は狐崎まで後退して敵を引きつけて戦い、飯田四郎(しろう。家義の一族と思われる)など2名を討ち取りました。

「おのれ、よくも四郎を殺りやがったな!」

そこへ吉香小次郎(きっか こじろう。吉川小次郎)・渋河次郎(しぶかわ じろう)・船越三郎(ふなこし さぶろう)・矢部小次郎(やべ こじろう)らが廬原小次郎たちに加勢します(小次郎が多いですね)。

「やぁやぁ我こそは吉香小次郎……そこな若造。それがしと手合わせせぃ!」

「おぅ。我こそは梶原三郎景茂……いざ組まいでか!」

景茂は吉香小次郎の挑戦を受けて立ち、壮絶な死闘の後に相討ちとなってしまいました。

「七郎八郎九郎!遠矢で敵を防ぐぞ!」

「「「承知!」」」

一方で景国は景宗・景則・景連を指揮して敵の増援を足止めしていたものの衆寡敵せず、ついには4人とも討ち死にしてしまいます。

「父上、あの山に入って持ちこたえましょう!」

残った景時と景季・景高は山へ逃げ込んで最期まで抗戦したものの、ついにはことごとく討ち滅ぼされてしまったのです。

エピローグ

翌1月21日。梶原一族33名の首級が路傍にさらされ、1月23日に戦闘の詳細が明らかにされます。

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