実は子だくさん!汚れ役もいとわない愚直すぎる武将・梶原景時の息子たち・後編【鎌倉殿の13人】 (5/6ページ)
【梶原一族を滅ぼした者たち】
廬原小次郎:梶原景国(六郎)と梶原景則(八郎)を討ち取る 飯田五郎家義(の郎党):景茂の郎党2名を討ち取る 吉香小次郎:梶原景茂(三郎)を討ち取る 渋河次郎(の郎党):景時の家子4名を討ち取る 矢部平次:梶原景季(源太)・梶原景高(平次)・狩野兵衛尉の3名を討ち取る 矢部小次郎:梶原景時を討ち取る 船越三郎:家子1名を討ち取る 大内小次郎:郎党1名を討ち取る 工藤八郎(の郎党・工藤六郎):梶原景連(九郎)を討ち取る※『吾妻鏡』正治2年(1200年)1月23日条より意訳。
『吾妻鏡』では七郎景宗を誰が討ち取ったのか記録がなく、もしかしたら誰が討ち取ったのか揉めたのかも知れません。
この中で武功一等と称されたのは吉香小次郎。景時はかねてより「上洛に際して、駿河国内一番の勇士である吉香小次郎の家さえ通過できれば、後はもう大丈夫」と語っていたとか。
景時の懸念が死亡フラグになったのか、あえなく梶原一族は滅亡してしまったのでした。
終わりにかくして頼家を支えるために結成された「鎌倉殿の13人」は、頼朝の死後1年ばかりで早くも崩壊が始まります。