なぜ熊野詣に後白河法皇・後鳥羽上皇ら時の権力者たちは夢中になったのか?そもそも熊野詣ってなに?【その2】 (1/6ページ)
後白河法皇・後鳥羽上皇ら時の最高権力者が頻繁に行った熊野詣(熊野御幸)。
彼らが時間と危険を冒してまで、難路・悪路を踏破して向かった熊野三山とはどのようなところだったのでしょうか。
【その2】では、上皇たちを魅了した熊野三山を構成した寺社について、その概要をお話ししましょう。
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なぜ熊野詣に後白河法皇・後鳥羽上皇ら時の権力者たちは夢中になったのか?そもそも熊野詣ってなに?【その1】
後白河法皇に次いで2番目に多くの熊野御幸を行った後鳥羽上皇(写真:Wikipedia)
熊野三山と世界遺産を構成する社寺 熊野本宮大社熊野三山の中心となる神社で、全国に 3,000 社ある熊野神社の総本山にあたります。主祭神の家津御子大神(けつみこのおおかみ)は、神武天皇の時代にインドから飛来し、崇神天皇の65年(4世紀前半)に社殿が造られたと伝わります。
家津御子大神は、木の神・食を司る神とされ、神話ではスサノオノミコト、仏教では阿弥陀如来と同一視されます。このため、熊野を詣でると来世の安楽を得られるという信仰が広まりました。
