北条?江間?小四郎義時が名乗った苗字の移り変わりを紹介【鎌倉殿の13人】 (4/5ページ)
かくして空位となった北条の家督と執権の座。ここで当初の予定通り五郎が継げばいいかと言っても、流石に荷が勝っています。
そこで義時にカムバックの声がかかり、晴れて北条の跡取りと鎌倉幕府の執権を継承することとなったのでした。
まとめ・義時が再び「北条義時」となるまで長寛元年(1163年):誕生……幼名(不詳)
時期不明:元服……北条義時
※元服が一般的な13~15歳なら安元元年(1175年)~治承元年(1177年)ごろ
治承4年(1180年)以降:所領を賜わる……江間義時
元久2年(1205年):時政の失脚によって北条家に戻り、家督と執権職を継承……北条義時
元仁元年(1224年):義時死去
以上、まとめてみると不確かなところはあるものの、義時は概ね人生の半々で「江間」と「北条」を名乗っていたものと考えられます。