北条?江間?小四郎義時が名乗った苗字の移り変わりを紹介【鎌倉殿の13人】 (3/5ページ)

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演:瀬戸康史)に継がせるつもりだったようです。

しかし時が流れて文治5年(1189年)になると、時政の後妻である牧の方(劇中では“りく”演:宮沢りえ)が待望の男児、後の北条政範(まさのり)を出産。

若い後妻を寵愛する時政は、五郎からこっちを嫡男(正室の男児。ここでは後継者候補)と定め、将来に望みを託すのでした。

その証拠に10代の若さで従五位下(じゅごいのげ)という高い位階に推挙されています。父である時政が還暦過ぎてようやく従五位下にたどり着いたことと比較すると、その凄さが判ります。

このまま順調に行けば政範が北条の家督を継ぎ、義時は江間の分家として仕えたことでしょうが、元久元年(1204年)11月5日、政範は上洛中に急死してしまいました。

野心に目が眩み、晩節を汚してしまった北条時政。歌川国貞筆

また時政が牧の方と共謀して源実朝(演:柿澤勇人)の粛清を企んだことで事態は急変。元久2年(1205年)閏7月、時政夫婦は鎌倉を追放されてしまいます(牧氏事件・牧氏の変)。

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