「鎌倉殿の13人」いよいよ始まる!?三つ巴の後継者争い…第29回放送「ままならぬ玉」予習 (5/6ページ)

Japaaan

晴れて征夷大将軍に任じられた頼家。

鎌倉殿としての在任期間と、征夷大将軍としての在任期間は必ずしも一致しないのですね。これをもって「鎌倉幕府の成立は、征夷大将軍への補任を根拠としない(≒建久3・1192年ではない)」と主張する向きもあると言います。

しかし鎌倉以降の室町・江戸幕府も征夷大将軍をもって「武家の棟梁」たる証しと位置づけており、武家政権(幕府)の構成する上で欠くべからざる一要素であると言えるでしょう。

それはさておき、晴れて源氏ひいては武家の棟梁として名を備えた頼家。しかし御家人たちとの確執は変わらず、苦境が続きます。

もはや頼家に愛想を尽かしていたからこそ、比企派と北条派の後継者争いが収まらなかったとも見られそうです。

知康、古井戸に落ちる

そんな中、『吾妻鏡』より、ちょっと面白い?(と言ったら可哀想ですが……)エピソードを見つけたのでご紹介。

雪降。積地七寸。將軍家爲覽鷹塲。令出山内庄給。入夜還御之處。知康候御共。而於龜谷邊。乘馬驚騒。沛艾之間。忽以落入舊井。然而存命。依之入御御所之後。賜小袖二十領於知康。

※『吾妻鏡』建仁2年(1202年)12月19日条

当日は雪が七寸(約21センチ)も積もったとか。そんな中、頼家は鷹狩り場の下見で山内荘へ出かけました。よっぽど鷹狩りが好きだったのですね。

ちなみに山内荘とは現代の鎌倉市山ノ内(だいたい北鎌倉駅周辺)から横浜市栄区・戸塚区一帯に広がる荘園です。

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