【三大法難その③】著作物を焼き捨てて墓まで暴く!?浄土宗三大法難のひとつ「嘉禄の法難」とは? (2/4ページ)
今の時代からはとても考えられない、仏教同士の抗争の内容を見ていきましょう。
嘉禄の法難は、嘉禄3年(1227年)法然の没後に発生しました。
法然がいなくなってからも、その教えを慕う人たちはよく集まり、積極的に活動していました。これに対して朝廷から専修念仏の停止(ちょうじ)の命が下ったものの、浄土宗信者の勢いを抑えることはできませんでした。
そんな中、法然が生前に九条兼実の要請を受けてまとめた『選択本願念仏集』という念仏集が、トラブルを引き起こします。
天台宗による排撃『選択本願念仏集』は、法然の生前はごく一部の門弟のみ書写を許されたという秘蔵の書物でした。
他の宗派との関係を良好に保っておきたかった法然は、この本について、宗派同士の争いの引き金になりかねない内容だったため気を配っていたのです。
しかし、これが法然の没後に一般に公開され、他の宗派の僧の目に触れることになるのです。
そしてすぐに、生前の法然が懸念していたであろう事態が起こってしまいます。
華厳宗の明恵(みょうえ)上人が『選択本願念仏集』に対して強い批判を浴びせたのです。