入浴中は要注意!源頼家だけじゃない、お風呂が命取りになった源氏の者たち【鎌倉殿の13人】 (2/5ページ)

Japaaan

報告によれば昨7月18日に頼家が修禅寺でなくなったとのこと。享年23歳。

かつて鎌倉殿であった者の最期にしては、味気ないことはなはだしいこの記述から、『吾妻鏡』の編纂者である北条一族による事実の隠蔽を疑う者が少なくありません。

それはそうと、お風呂で殺されたのは源氏一族で頼家だけではなく、祖父の源義朝(よしとも)や大叔父の源為朝(ためとも。義朝の弟)もお風呂が命取りとなっています。

今回はそれぞれの入浴エピソードを紹介。お風呂は文字通り丸裸となって隙が多くなる時間ですから、皆さんも身の安全にはご用心ください。

『平治物語』より、家臣の裏切りで殺された源義朝

狩野探幽「義朝最期の図」

……「都の御合戦、道すがらの御辛労に御湯めされ候へ」と申せば、「然るべし」とてやがて湯殿へ入り給へば、三人のものひまをうかゞふに、金王丸御剣を持ちて、御あかに参りければ、すべて討つべきやうぞなき、程経て「御帷子まゐらせよ」といへども人もなき間、金王丸腹を立てゝ走り出でける其のひまに、三人のものども走り違へてつと入り、橘七五郎むずと組み奉れば、心得たりとて取りて引き寄せ、押し伏せ給ふ所を、二人のものども左右より寄せて、脇の下を二刀づゝ刺し奉れば、心はたけしと申せども、「鎌田はなきか、金王丸は」とてついに空しくなり給ふ……

※『平治物語』巻第二「義朝野間下向并忠致心替の事」より

時は平治2年(1160年)1月3日、京の都で平清盛(演:松平健)に敗れ去った義朝は東国へ落ち延びる道中、家人の長田忠致(おさだ ただむね)の元へ身を寄せました。

「何とお労しや……さぞお疲れでございましょう。風呂も立ててございますゆえ、どうか戦さの疲れを落として下され……」

厳寒の折、温かい風呂は何よりの馳走。義朝が心身をくつろげているところ、忠致は息子の長田景致(かげむね。

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