僧侶にとって修行する目的とは?修行によって何が得られるか? (2/3ページ)

心に残る家族葬

仏教における修行とは祈祷を行い、何らかの形で効果を出せる「呪力」を身につけるためにほかならない。「呪力」を会得した者は「呪術師」である。元々日本においては仏教は呪術として受容された。僧侶は法力や霊力をもって不治の病を治し、災害を防ぐことを期待されたのである。

■仏教は修行をどう見ているか

呪力を得るための荒行。しかし、それが仏教の本義かというと一概には言えない。釈迦は苦行林で苦行に励んだが、ついにこれを無意味と断じて苦行をやめた。そしてこの世の一切は空であるとの境地に達し、現世利益を期待する呪い(まじない)も否定した。その教えとは矛盾しないのか。原始仏教に近いとされるテーラワーダ仏教のスマナサーラ長老が「般若心経」を批判しているのは、心経の呪術性に対してである。

千日回峰行の満行を報じるネットニュースなどを見ると、荒行へ疑問の声も多い。荒行したからそれがどうしたのだと。確かに凄いことは凄いかもしれない。しかし大谷翔平や井上尚弥のような誰もが認める偉業かというとそれも違う。彼らの活躍は夢や希望を与える。ウクライナの五輪選手も国民に勇気を与えた。荒行を終えた僧侶は何をしてくれるのか。ただの自己満足ではないのか。

現代に生きる人々からすると術者が得たと称する「力」が、どれほどわれわれに益するものか疑問である。加持祈祷で本当に病気が治せるのだろうか。キリスト教の神父(牧師)や医者、カウンセラーになるのに滝に打たれる必要はない。

■迷信扱いされる祈祷

日本の近代仏教では西欧文化の吸収・対応の必要性から、儀礼より信仰を重視する考えが盛んになり、加持祈祷や荒行などは形式的かつ古臭い迷信のようなものとされた。これらの潮流の中心となったのが、清沢満之(1863〜1903)の「精神主義」や、井上円了(1858〜1919)が創立した「哲学館」系の僧侶、学者らによる「新仏教運動」であった。こうした動きに加持祈祷の本家といえる真言宗なども近代化への対応を迫られたという。

しかし、21世紀の現代、浄土真宗以外のほぼすべての宗派で、祈祷が行われている。病気平癒、家内安全、学業成就、安産祈願…あらゆる現世利益を求めて今日も人々は神社仏閣に足を運ぶ。

「僧侶にとって修行する目的とは?修行によって何が得られるか?」のページです。デイリーニュースオンラインは、社会などの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る