僧侶にとって修行する目的とは?修行によって何が得られるか? (3/3ページ)
「呪力」を持つ僧侶の存在はやはり必要なのだろう。
彼らが会得した「力」は万人のために使うものだ。荒行は自分が悟りを開こうする自己満足ではなく、他者を救うための自己犠牲と言える。釈迦は悟りを得た当初、その教えを広めるつもりはなかった。衆生を救う力を得るために命がけの荒行に身を投じるのは、慈悲行を重んじる大乗仏教ならではといえるかもしれない。
■救いを求める人のために
修行・荒行とは現代的な価値観から見れば、あるいは無意味に近いことを命懸けで挑んでいるようにも思える。しかし、救われたい人がいるならそれに応えてあげたいという思い。衆生を救いたいという思いで苦行に飛び込むことは尊敬に値するべきだろう。一方で、町田宗鳳は満行者の自我膨張の危険を警告している。つまり荒行を達成した者の傲慢である。厳しい荒行に耐えた自分を忘れて「生臭坊主」に成り下がる僧侶は多い。彼らにはいつまでも荒行の記憶を忘れず、悩める衆生のために尽力して頂きたい。
■参考資料
■新アジア仏教史 第15巻 日本Ⅴ「現代仏教の可能性」佼成出版社(2019)
■阿部貴子「真言僧侶たちの近代」『現代密教』第23号 智山伝法院(2012)
■菅沼晃「新仏教運動と哲学館―境野黄洋と高嶋米峰を中心に」『印度學仏教學研究』49巻 1号 日本印度学仏教学会(2000)