鎌倉時代、鎌倉にはどのくらいの人が住んでいたのか?『吾妻鏡』の記録から推算 (1/3ページ)

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鎌倉時代、鎌倉にはどのくらいの人が住んでいたのか?『吾妻鏡』の記録から推算

神奈川県鎌倉市には172,526人の市民が住んでいます(令和4・2022年8月1日現在)。

その内訳は男性81,012人(約46.9%)に対して女性が91,514人(約53.1%)、76,888世帯ということです。

ところで、今から800年ほど昔の鎌倉時代、鎌倉にはどのくらいの人が住んでいたのでしょうか。

それをハッキリと記録した史料は残念ながら保管されていませんが、鎌倉の人口を推算するヒントとなるデータが『吾妻鏡』に記されていました。

鎌倉にあった37,274口の酒甕から人口を割り出す

天晴。鎌倉中所々。可禁制沽酒之由。仰保々奉行人等。仍於鎌倉中所々民家所註之酒壷三万七千二百七十四口云云。又諸國市酒全分可停止之由云云。

※『吾妻鏡』建長4年(1252年)9月30日条

時は建長4年(1252年)9月30日。鎌倉幕府は庶民に対して酒類の販売を禁止します。その理由については明らかでないものの、酒税なんて存在しない時代ですから、酔っぱらいの惹き起こすトラブルを重くみた結果と考えられます。

「……と言っても、どうせ勝手に造ってこっそり売るヤツがいる(と言うより、むしろ従うヤツの方が少ない)だろう。なので酒を造ることができぬよう、酒甕の所持を取り締まるのじゃ!」

さっそく保(ほ/ほう。行政区画の単位だが詳細不明。現代で言う自治町内会程度か)を管理する奉行人たちに命じて鎌倉じゅうの民家から酒甕の数を調べさせました。

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