え、当日いきなり!?それでも鎌倉殿の無茶ぶりに応えた御家人・三浦家村の腕前 (2/3ページ)

Japaaan

「かつて父(三浦義村)の生前に一度二度ほど務めたことはありますが、もう随分と稽古しておりません。ましてこんな年を食った者にいきなり指名されても、それがしには荷が勝ってしまいます」

と言っても30代後半(推定)ですが、鎌倉時代の感覚では十分過ぎるほどのオッサンです。家村の言い分はもっともながら、鎌倉殿のご指名とあれば謹んで最善を尽くすべきと兄・三浦泰村(やすむら)に諭されます。

「しかし、馬がございませぬ」

「そんな事もあろうかと、馬ならちゃんと用意してある」

泰村は特別に深山路(みやまじ)という駿馬を用意。ここまでされては仕方なく、家村は騎手を引き受けたのでした。

狩衣(かりぎぬ。貴族の狩装束だが後に武家の礼服に)から狩装束に着替えた家村は、さっそく深山路にまたがって出走します。

第四番の打出(うちだし。スタート位置)から三の的まで走り抜け、巧みな腕前を披露する様子はベテラン顔負けだったそうです。

「「「おお……っ!」」」

見守っていた御家人たちからは、実に見事であったと感嘆の声が洩れ聞こえました。

「式部(家村。駿河式部大夫)よ、天晴れじゃ!」

将軍・藤原頼嗣(ふじわらの よりつぐ)からはしきりにお褒めの言葉を伝える使者が発せられ、三浦一族の面目を施したことはもちろん、他家の者たちも称賛せぬ者はいませんでした。

終わりに

同馬塲儀也。流鏑馬十六騎。揚馬訖。而射手一人俄有霍乱之氣。申障。已及神事違例。仍於御棧敷有御沙汰。以雅樂左衛門尉時景爲御使。可勤此射手之旨。被仰駿河式部大夫家村。時景蹲居家村前傳仰。家村降自床子。答申云。亡父義村存生之時。壯年而一兩度雖令勤仕此役。癈忘隔多年也。日來縱雖有習礼。年闌後能敢不可叶事也。况於當日所作哉。更不堪身之由云々。御使申此趣之間。仰兄若狹前司泰村。慥可令勤云々。仍泰村起座。行向弟家村座前。早可應仰之旨。再往加諷詞等。時只今稱無射馬。泰村。馬者答用意之由。凡泰村存如此時儀。射馬〔号深山路。名馬也〕置鞍兮。

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