インドのヒンドゥー社会にかつて存在したサティ(寡婦殉死)とは (2/2ページ)

心に残る家族葬

人間に「魔女側」などという境界は存在しない。カースト制に根拠はない。人は死んだらそれきりである。細胞分裂の回数が限界に達することにより、死ぬ。ただそれだけなのだ。

■最後に

生き残った人々には寿命を迎えるまでのあいだ、生活を営まなければならない義務がある。この一点においては非科学的な主張である。生きることを強いる権利など私には一切ないからである。だが私は言う。寡婦を生きたまま焼くなどもってのほかであり、後追い自殺などしてはならない。生きなければならない。そのために多少故人の葬儀が手短になってもよいと思う。生きた人のためにお金を使う。その選択肢の一つとして、シンプルなお葬式があってもいいのではないだろうか。

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