坂東武者も平和ボケ?新調した鎧をネズミにかじられ…『吾妻鏡』が伝える吾妻四郎助光のエピソード【鎌倉殿の13人】 (4/4ページ)

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依晴儀稱用意者。若新造鎧歟。太不可然。随兵者非可餝行粧。只爲警衛也。因茲。右大將軍御時。譜代武士可必候此役之由。所被定也。武勇之輩。兼爭不帶鎧一領焉。世上狼唳者不圖而出來。何閣重代兵具。可用輕色新物哉。且累祖之鎧等似無相傳之詮。就中恒例神事也。毎度於令新造者。背儉約儀者歟。向後諸人可守此儀者。助光者所被止出仕也。

※『吾妻鏡』建永2年(1207年)8月17日条

あらら、可哀想に……不覚悟により御家人をクビになってしまった吾妻助光。歴戦の勇士であってもこの有様ですから、少なからぬ者が似たような状態だったのかも知れません。

つい一昨年(元久2・1205年)に畠山重忠の乱があったばかりと言うのに……まさに喉元過ぎればというヤツでしょうか。

武士らしく、武芸の腕前で名誉を回復(イメージ)

ちなみにこの吾妻助光、その年の暮れに御家人復帰を果たしました。得意の弓で名誉を回復したのです(よかったよかった)。

その後も建暦3年(1213年)に和田合戦が勃発するまで、鎌倉にはしばらく(表面的な)平和が続きました。

治にあって乱を忘れず。今ある平和は当たり前のものではなく、絶えず努力によって守り抜く必要があることを、今回のエピソードは訴えているようです。

※参考文献:

五味文彦ら編『現代語訳 吾妻鏡 7頼家と実朝』吉川弘文館、2009年11月

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