武将・楠木正成はこうして「軍神」に!奇策が炸裂しまくりの千早城の戦い【後編】 (3/3ページ)
まず1333年2月、後醍醐天皇が名和長年の協力を得て、配流となっていた隠岐を脱出。
さらに、播磨国の赤松則村が、千早城攻めで手薄となっていた京を襲撃します。
そして、赤松軍討伐のために京へ派遣された幕府方の有力御家人である足利尊氏が謀反し、幕府側の軍事拠点である六波羅探題を攻め陥落させてしまいます。
京を占領された幕府側はもはや千早城どころではなくなり、5月10日、ついに総撤退しました。
正成は3ヶ月の籠城戦を戦い抜き、20万の幕府軍に対しわずか千人の兵で勝利を収めたのです。
そして、とどめとばかりに関東で挙兵した新田義貞が鎌倉に攻め込み、5月22日に鎌倉幕府は滅亡したのでした。
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