イギリス君主であり英国国教会の最高統治者でもあったエリザベス2世 (2/3ページ)
■エリザベス女王と英国国教会
1953年6月2日、エリザベス女王の戴冠式がロンドン・ウェストミンスター寺院で行われた。英国の戴冠式はカンタベリー大主教が導き、聖書の贈呈や聖餐式が行われる。英国君主は英国、並びに英連邦各国の法律と、英国国教会の教義を守ることを神の前で宣誓する。これだけを見ると、大主教が君主の上に位置しているようにも見えるが、 英国国教会において国王は大主教の上に君臨する最高統治者であり、大主教や主教、司祭などの聖職者は君主によって任命される。宗教上においては大主教が長だが、英国君主はその大主教を任命する「信仰の擁護者」である。そのエリザベス女王は同じウェストミンスター寺院において大主教に導かれ天国へ昇った。英国君主は教会で生まれ、教会で任期(生涯)を全うするのである。ローマ教皇フランチェスコは新国王チャールズ3世に、女王のイエス・キリストへの確たる奉仕と信仰を称える弔電を送った。
■宗教的君主
イギリスと並ぶヨーロッパの大国フランスで革命によって王権は倒れ、一時期の復古王政や帝政時代を経て共和制国家となっている。これに対してイギリスは君主制を保っている。しかも英国君主はただの君主ではなく、国教会の最高位という宗教的存在である。いわゆる「先進国」の中では一方の君主制国家・日本でも、天皇は単なる王・皇帝ではなく、事実上、神道の最高位である。天皇は宗教的存在として五穀豊穣を祈る「新嘗祭」や、元旦に行われる「四方拝」など様々祭祀を司っている。両国共に近代民主主義国家であるにも関わらず、その頂点には血統により受け継がれ、さらに宗教的な存在を兼ねる君主が君臨するという意味で共通している。民主主義を超える存在といってよい。
このような政治・軍事の実権のない宗教的君主の存在は、人によっては不必要な非合理的な存在ともいえるだろう。民主主義国家においてすべての人民は平等であるはずなのに、宗教的君主の存在のような例外が許されるのか。しかし経済的格差や人種差別など、人間が平等ではないことは我々は痛いほど知っているはずである。それでもあらゆる人間に対して平等に与えられるものがある。「死」である。
■超越的存在の役割
死において人間は平等な立場に置かれる。