賛否を呼んだ国葬であらわになった無宗教な日本人の宗教的な一面 (2/3ページ)

心に残る家族葬

元首相を狙撃した容疑者の男も、この団体の信者である母親が家の財産をすべて献金してしまい困窮し人生を変えられたという。団体の指導者を殺害するつもりだったが果たせず、関係があったとされる元首相に凶行に及んだとしている。若年層を除けば一大ブームとなった「あの」霊感商法団体の記憶が蘇ったことだろう。元首相もその団体と深い関係があったとなれば評価は一変する。与党のみならず野党にも関係が指摘される議員が公表されるなど過熱気味な報道に、元首相を国をあげて見送ることに抵抗を持つようになった人が増えてきた。この団体のカルト的反社会性を考えれば当然の反応ではあった。

■死者を悼む人々

テレビなどの報道をみる限りではどちらかといえば反対の声が多く感じられたように思えた。しかし当日になってみれば、一般献花には長蛇の列。規定の時間が過ぎてもなお途切れることはなかった。また、当地に行けない人たちのための「デジタル献花」が有志によって立ち上げられ520,429人の弔意が寄せられた。元首相の人気を考えれば多少の数が反対に転んでもさしたる影響はなかったのかもしれない。しかしそれ以上に、教団との関係はどうあれ、「人は死ねばホトケ」であり、死者を悼む、死者を弔うという日本人の宗教的な心性の要素もあったのではないか。国葬の案内状をSNSで晒した一部の人物に対して品位が無いとの批判が集まった。賛否とは別に「死」にまつわる儀礼を見世物のように扱う行為は、宗教的な感性に反するものだったことは間違いない。

■「宗教」と「宗教的」

日本人はよく無宗教と言われる。〇〇教といった特定の信仰を明言する人は非常に少ない。聞かれれば「仏教」と答える人は多いだろう。古くからの家は大抵どこかしらの檀家である。しかし自宅の宗派まで正確に答えられる人はどれほどいるだろうか。

「宗教のようだ」「何か宗教やってる?」などという言い回しには言外に「(怪しげな)宗教」いわゆる「カルト」の意味合いを含む場合が多い。日本人はいわゆるカルト教団ではなくても「教祖」「教典」「信者」などから成る具体的組織的な「創唱宗教」自体に抵抗があるようだ。特定の「〇〇教」と言われるとネガティブなイメージを持つのが一般的かもしれない。キリスト教の布教も失敗に終わった。

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