賛否を呼んだ国葬であらわになった無宗教な日本人の宗教的な一面 (1/3ページ)
現代において「宗教」という言葉は「宗教っぽい」「宗教みたいで気持ち悪い」など、ネガティブな形容詞として使うことが多く、あまり良いイメージを持っていない印象を受ける。これに対し、初詣やお宮参り、葬儀法事に至る伝統的な「宗教行為」については当然のように受け入れている。この二元性が安倍元首相の国葬をめぐる態度にも透けて見えた。日本人にとって宗教とは何か。
■賛否を呼んだ国葬
9月27日凶弾に倒れた安倍晋三元首相の国葬が営まれた。国葬をめぐっては世論が賛否に分かれ、反対派のデモは激しさを増していた。マスコミ各社の世論調査でも、当初は賛成が上回っていたが日が経つに連れて、反対の声が多くなりついには逆転した。生前の評価が定まるのは後世のことであるとしても、憲政史上最長にして、思想そのものははっきりしていて敵味方が明確に分かれた総理大臣だった。とはいえ、日本は民主主義国家である。長きに渡り安倍一強時代を築けたのは、支持者の数が批判者を上回っていたからだろう。国葬賛成の声が多かったのも当然である。それが逆転したのは、元々リベラル傾向の強いマスコミの反対を煽るような報道姿勢に流された人も多いと思われる。しかしその報道も根拠が無いわけではない。それが元首相と某宗教団体との関わりである。
■ブームとなった「霊感商法」
信条・思想の自由が保障されている以上、政治家がどの宗教の信者であっても政教分離に抵触しない限り問題ではない(場合によってイメージダウンにはなるかもしれないが)。問題はこの宗教団体が反社会的行為を行っている疑惑を持たれていることである。この団体はいわゆる「霊感商法」の元締として80〜90年代頃に大きく取り上げられた。高額な壺や印鑑などを売りつけ、布施と称して信者の財産を吸い上げる手口や、有名芸能人と一般信者との「合同結婚式」などが連日報道され、世間では負の大ブームとなった。現代でも怪しげな宗教が話題になると「壺とか売るやつでしょ」などとネタにされるほどである。しかしそのブームも後のオウム事件などの影に隠れ、芸能人を巻き込むなどのワイドショー的な話題も尽きたことから、マスコミの興味を失い沈静化した。しかしあくまでマスコミが飽きたというだけで被害者が減ったわけではない。