白布をかぶって長刀で武装…「僧兵」とは何者だったのか?その由来と役割を探る (3/4ページ)
『春日権現験記』にみられる興福寺の僧兵(Wikipediaより)
それでも、寺院同士でケンカしているだけならよかったのですが、彼らは武力と神仏の力を振りかざして、朝廷に数々の要求を行うようになりました。強訴です。
強訴によって権力を手中に収める寺院の強訴は実にたちが悪く、僧兵たちは神木や神輿をかついで朝廷に押しかけたと言われています。
特にこれを頻繁に行ったのが興福寺と延暦寺でした。いわゆる南都北嶺で、当時の朝廷は南北から強訴の挟み撃ちに遭っていたのです。
また、古代の日本人にとって、神仏の祟りや呪いはこの上なく恐ろしいものでした。武力と呪いをちらつかせて要求されればそれを飲むしかなかったことでしょう。
一方、朝廷の側も北面の武士という組織を結成して対抗しようとしていますが、案の定、僧兵たちもさらに強力に武装して強訴を行っています。
このように、僧兵の登場によって寺院が持つ力は強大になり、時として権力に介入したりするようになったのです。
鎌倉時代の武家社会になっても寺院の力は衰えず、その後も大きな勢力として存在し続けました。
こうした歴史的背景を知っておくと、織田信長がなぜあそこまで執拗に寺院を攻撃したのかが分かりますね。