四天王が一人・馬場信春の伝説を見よ!武田家三代に仕えた名将が長篠に散るまで【後編】 (2/5ページ)
この時の武田軍の勢いは凄まじく、家康は命からがら浜松城へ逃げ帰りました。
こうして向かうところ敵なしと思われた武田軍ですが、それから半年も経たないうちに信玄が病死し、息子の勝頼が武田家を継ぎます。
勝頼はいったんは甲斐へ引き上げますが、その後、美濃や遠江に侵攻して織田や徳川方の支城を次々に落とします。そうして版図を広げ、勢いに乗っていきました。
長篠の戦いへそんな勝頼が、次の標的に定めたのが三河の長篠城です。
天正3(1575)年、勝頼は1万5千の大軍を率いて長篠城を包囲します。城にいる兵はわずか500程度で、落城の危機に陥りました。
しかし、ここで家康の要請を受けた織田信長が、織田軍3万と徳川軍8千を引き連れて援軍としてやってきます。