四天王が一人・馬場信春の伝説を見よ!武田家三代に仕えた名将が長篠に散るまで【後編】 (1/5ページ)

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四天王が一人・馬場信春の伝説を見よ!武田家三代に仕えた名将が長篠に散るまで【後編】

信玄の死

前編では、馬場信春(ばば・のぶはる)という人物の人柄などについてお話ししました。

四天王が一人・馬場信春の伝説を見よ!武田家三代に仕えた名将が長篠に散るまで【前編】

後編では、武将としての活躍とその最期についてです。

1572(元亀3)年、武田信玄は将軍・足利義昭の誘いに応じて西上作戦を開始します。

この時信春は、徳川家康の領国である遠江の情報収集を行っています。常に周到に準備してから敵と戦うことを常としていた信玄にとって、信春は最も頼りになる存在でした。

徳川家康(Wikipediaより)

そして、三方ヶ原に徳川軍を誘い込んだ信玄は、明らかに自分が有利な情勢であるにも関わらず、警戒してすぐには動きませんでした。

そこで信春は、家康の陣形を確認した上で「戦えば必ず勝てる」と進言。信玄はこれを受けて突撃の指示を出します。

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