打ち砕かれた松岡洋右の希望…有名なスローガン「満蒙(満州)は日本の生命線」の真意 (4/6ページ)
しかし間もなく、満州事変の引き金とも言える柳条湖事件が、現地の関東軍によって引き起こされました。
この大まかな流れだけを見ると、あたかも松岡と関東軍は思想的に共鳴しており、植民地としての満州を死守しようとしたかのように思われますね。
しかし、実は全く違います。むしろ両者は無関係で、松岡は柳条湖事件による「被害者」でもありました。
無に帰した松岡の希望松岡が目論んだのは、満州の経済活動を活発なものにして、まずは満州鉄道の経営状態を回復させることでした。そして、ゆくゆくは日本の経済にも還元するというビジョンを持っていたのです。
そのために、国防面での重要性をリンクさせて「満蒙は日本の生命線」と述べたのでした。
一方、当時は世界的に「軍縮」がトレンドだったこともあり、満州に駐屯していた関東軍は、松岡とは全く違う意味で焦っていました。
軍縮が進めば、軍に対する予算も削減され、人員も減らされます。そうなれば軍人たちは食いっぱぐれますし、その上日本は満州をも見捨てようとしている。
ならば自分たちは自分たちで行動を起こそうと、一か八かの賭けに出たのが柳条湖事件、ひいては満州事変だったのです。