打ち砕かれた松岡洋右の希望…有名なスローガン「満蒙(満州)は日本の生命線」の真意 (5/6ページ)

Japaaan

その後の経緯は割愛しますが、関東軍の動きを日本政府が追認する形になり、日本政府と満州、そして日本政府と蒋介石の関係も悪化していきました。

関東軍の「暴走」を追認する形になった当時の総理大臣・若槻礼次郎(Wikipediaより)

こうして、満州が経済的恩恵を受ける道筋は絶たれました。

こうして見ると、松岡が「被害者」だったというのが分かると思います。彼は満州事変のような事件を起こして、侵略を進めていこうとは考えていませんでした。

あくまでも、日本と中国が経済関係を重要視するのなら、満州も利益を得られるように「仲間に入れて欲しい」という考えだったのです。

実際、彼は満州事変の知らせを聞いてがっかりし、自著でも「私の努力は無に帰した」と書いています。

どうも松岡洋右という人物はツキがなく、日本史上の重要なポイントで必ず名前が出てくるにもかかわらず、誤解されて悪役扱いされて語り継がれてきた感があります。

国際連盟脱退の際のエピソードなど最たるもので、そろそろこうした世間の誤解も解いてやりたいところです。

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