「鎌倉殿の13人」泉親衡とは何者か?北条義時・和田義盛の開戦前夜…第40回放送「罠と罠」予習【上】 (5/7ページ)
成朝申状之趣。悉以言上。將軍家聞食之。受領所望之志事。還有御感。早尋出之。可有恩赦之由云々。
※『吾妻鏡』建暦3年(1213年)2月20日条
そんなことがあって2日後、七郎の脱走が発覚しました。2日間も気づかないって、一体どんな監視体制だったのでしょうね。
「彼奴めはかくかくしかじかと申しておりました……」
敬音からの報告を受けて、実朝は感激。
「気に入った!その心意気に免じて罪を赦し、国司の願いを叶えてやろう。ただちに探し出すのだ!」
え、いいんですか?……義盛の願いは叶えられなかったのに……周囲の御家人たちも困惑したことでしょうが、その後、七郎が姿を見せることはありませんでした。
辞世の和歌に感激した実朝、渋河刑部の罪を赦免また、こんなこともありました。
囚人澁河刑部六郎兼守事。明曉可誅之旨。被仰景盛訖。兼守傳聞之。不堪其愁緒。進十首詠歌於荏柄聖廟云々。
※『吾妻鏡』建暦3年(1213年)2月25日条
「渋河刑部(六郎兼守)につき、明日の明け方に処刑すべし」
安達景盛(演:新名基浩)からの命令を聞いて、兼守は深く悲しみました。
「しかし、今さらジタバタしても始まらぬ。この思いを辞世に詠み、同じく無実の罪で太宰府へ流された天神様(菅原道真公)にお聴き願おう」
というわけでさっそく十首の和歌を詠み、それを荏柄天神社に奉納させます。