文豪・石川啄木の墓はなぜ北海道にある?その謎と悲劇の歌人の生涯を追う【前編】 (3/5ページ)

Japaaan

1904年(明治37年)婚約時代の啄木と妻の節子(Wikipediaより)

しかし、文学と恋愛にハマった啄木は授業も欠席が目立つようになり、4年生の時にテストで連続2回カンニングをしたことがバレて退学させられます。

詩人としてデビュー

啄木は退学を機に上京を決意し、愛読誌『明星』の出版元である新詩社を訪ね、与謝野鉄幹・晶子夫妻との関係を築きます。

しかし、勢い任せで上京したものの就職できず、生活に困窮してわずか半年で盛岡へ帰郷します。

ただ、東京で築いた新詩社との縁により、帰郷後には新詩社同人として『明星』へ寄稿するうち、文学界から注目を浴びるようになります。

そして19歳でデビュー作の『あこがれ』を発表し、天才詩人として名が知られるようになりました。詩人としての活動が軌道に乗ってきたため、中学時代からの恋人である節子と結婚します。

しかし啄木は、結婚式をすっぽかしました。というのも、ちょうどこの頃に父・一禎が宗費滞納により住職の資格をはく奪されてしまい、一家は路頭に迷っていたのが原因でした。

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