文豪・石川啄木の墓はなぜ北海道にある?その謎と悲劇の歌人の生涯を追う【前編】 (4/5ページ)
この時、啄木は詩集『あこがれ』の刊行のため上京しており、結婚式のために帰郷する予定でした。しかし「今帰ったら文学の道を諦めて家族の面倒を見なきゃいけなくなる」と考え、式をすっぽかすという暴挙に出たのです。
そのため結婚式は新郎不在で、節子と親族だけという奇妙なものになりました。
北海道へ結婚式のすっぽかしという暴挙に出た啄木ですが、結局は帰郷して父・一禎に代わって一家の大黒柱となります。
しかし文学家としての稼ぎだけでは足りず、渋民尋常小学校の代用教員を務めたものの一年ほどで退職。
この頃から、彼は北海道での新生活を夢見るようになります。
というのも、函館の苜蓿社が発刊する雑誌『紅苜蓿べにうまごやし』への寄稿をしていたため、その方面に伝手ができていたからです。
啄木は函館へと移住しますが、妻・節子は盛岡の実家へ、母・カツは盛岡に残り、家族離ればなれの生活が始まりました。このあたりから、啄木と北海道とのつながりが見えてきますね。