裏切り者の末路…鎌倉幕府の滅亡後、北条高時の遺児を売り飛ばした五大院宗繁【太平記】 (2/4ページ)

Japaaan

命に代えてもお守り申す」

邦時は当時9歳(正中2・1325年生まれ)。母親は宗繁の妹・常葉前(ときはのまえ)。なので宗繁は邦時の伯父に当たります。

「さぁ太郎よ。伯父上にご挨拶いたせ」

「右衛門の伯父上、どうかよろしくお願い申し上げます」

「太郎君(ぎみ)よ。父上のご無念を晴らすため、共に生き抜きましょうぞ!」

かくして出発した宗繁と邦時。しかし残党狩りの手は厳しく、なかなか鎌倉を脱出できません。

(これは困った……このまま太郎を抱えておっては埒が明かぬ。むしろこやつを当局に突き出すことで忠誠を示し、恩賞に与かった方がよいのではないか)

そこで宗繁は邦時に対し、別行動を持ちかけました。

「太郎君よ、今や鎌倉は船田入道(ふなだにゅうどう。船田義昌)の追手が厳しく、まとまって行動するのは危険が大きい。そこで別行動をとり、それがしが連中を引きつけている間に伊豆山権現へ向かって下され」

迫りくる追手(イメージ)

「右衛門の伯父上は大丈夫なのですか?」

「お任せ下され。太郎君を守るためならばこの伯父は身命など惜しみませぬ」

なんて調子のいいことを言って信用させ、邦時を見送るや否や宗繁は船田義昌の陣へ急行。「北条の遺児が伊豆山へ向かっている」と密告したのです。

「どうか所領を安堵していただけるよう、お口添えを……」

(この裏切り者めが!)

内心では唾棄しつつも船田入道は急ぎ軍勢を派遣し、あわれ邦時は相模川で生け捕られました。

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