「下剋上」は単なる反逆ではなかった!戦国時代にも存在した「御恩と奉公」の関係の実態をさぐる (1/3ページ)
時代ごとに違う「御恩と奉公」のかたち
鎌倉時代の御家人は、幕府と御恩と奉公の関係で結ばれていたと学校で習ったものですが、この「御恩と奉公」という言葉はその後の時代には登場しませんね。しかし実は、少なくとも戦国時代まではこの関係性は生きていました。
戦国大名とその家臣の主従関係においては、「御恩」は主君が家臣に土地の所有権を与えることを、そして「奉公」はそれに対して合戦で軍役を負担することを意味していました。
図式だけを見ると鎌倉時代と違いはないように見えますが、例えばその後の江戸時代とは異なり、戦国大名の家臣は絶対的な忠誠心は求められていませんでした。「御恩」の内容に不満があれば、いつでも「奉公」をやめられたのです。
このため、戦国時代の主君と家臣の間では起請文の提出が行われていました。起請文とは、主君への忠誠を神仏に対して誓う文書のことです。
「家臣」の三つの類型そんな戦国大名に仕える直属の家臣たちは、三つのタイプに分類することができます。