『吾妻鏡』が伝える源頼朝のエピソード「歯痛のツラさはみな同じ」【鎌倉殿の13人 外伝】 (2/5ページ)
※『吾妻鏡』建久5年(1194年)9月22日条
【読み下し】歯の御労り、再発とうんぬん。
【意訳】歯痛が再発したそうな。
(※主語がないものの、わざわざ労りに「御」とつける対象は鎌倉殿=頼朝を措いていないはずです)
ただ薬を飲むだけでは治らない……そう思ってか、頼朝は専門家のアドバイスをもらうために京都へ飛脚を出します。
歯御勞事。爲被尋療法於京都醫師。態所被立飛脚也云々。
※『吾妻鏡』建久5年(1194年)9月26日条
【読み下し】歯の御労りのこと。京都の医師において療法を尋ねらるため、わざわざと飛脚を立てらるところなりとうんぬん。
【意訳】歯痛について、よい治療法を尋ねるため、京都へ飛脚を派遣したとのこと。
さて、京都に着いた飛脚は朝廷で典薬頭(くすりのかみ。医療長官)を務める丹波頼基(たんば よりもと)からアドバイスと良薬を受け取りました。
齒御療治事。頼基朝臣注申之。其上獻良藥等。藤九郎盛長傳進之。彼朝臣者。參河國羽渭庄。爲關東御恩。所令領知也。
※『吾妻鏡』建久5年(1194年)10月17日条
【読み下し】歯の御療治がこと。頼基朝臣これを注申す。その上、良薬など献ず。藤九郎盛長これを伝え進ず。かの朝臣は、三河国羽渭庄を関東の御恩となし、領知せしむところなり。
【意訳】歯の治療について、典薬頭の丹波頼基からよい薬とアドバイスが届けられた。