『吾妻鏡』が伝える源頼朝のエピソード「歯痛のツラさはみな同じ」【鎌倉殿の13人 外伝】 (4/5ページ)
齒御勞事。聊御平愈之間。自御舟歴海浦。渡御三崎。有御遊覽等。今度自京都御下向之後。未及此儀云々。
※『吾妻鏡』建久6年(1195年)8月26日条
【読み下し】歯の御労りのこと。いささかご平癒のかん、御舟より海浦をめぐり三崎へ渡御し、ご遊覧などあり。こたび京都より御下向の後、いまだこの儀に及ばざるとうんぬん。
【意訳】頼朝の歯痛が少しよくなったので、久しぶりに舟を出して三崎(現:神奈川県三浦市)まで遊びに行った。
文中、京都から帰ってきて以来ずっとご無沙汰……みたいな空気を出していますが、頼朝たちが帰って来たのはつい先月のこと。
上洛中の期間を含めても約半年。よほど頻繁に三崎クルージングを行なっていたのでしょうか。
その後、頼朝の歯痛に関する記事はありません。しっかりと痛みがとれたのか、それとも生涯にわたってごまかし続けたのか、今後の究明が俟たれますね。
終わりに以上『吾妻鏡』より頼朝の歯痛エピソードを紹介してきました。