『吾妻鏡』が伝える源頼朝のエピソード「歯痛のツラさはみな同じ」【鎌倉殿の13人 外伝】 (3/5ページ)

Japaaan

安達盛長がこれを取り次いだ。頼基は三河国羽渭庄(現:愛知県豊川市)を頼朝から与えられていた。

「報酬を弾んだ甲斐がありましたな」

「うむ。よき薬を正しき用法用量で……そして念のため」

御家人の足利義兼(あしかが よしかね)に命じて、日向薬師堂(現:神奈川県伊勢原市)へ代理参拝させます。ご祈祷の目的は、もちろん歯痛の快癒です。

上総介義兼爲御使。參日向藥師堂云々。爲齒御勞御祈也云々。

※『吾妻鏡』建久5年(1194年)10月18日条

【読み下し】上総介義兼を御使となし、日向薬師堂へ参ずとうんぬん。歯の御労り御祈りのためなりとうんぬん。

【意訳】頼朝は足利義兼に日向薬師堂の代参を命じた。歯痛の快癒祈願である。

かくして諸々の処置が効いたらしく、しばらく頼朝は歯痛から解放されたのでした。

再発、そして三崎クルージング

しかし翌建久6年(1195年)、頼朝の歯痛が再発してしまいます。薬が切れてしまったのか、ちゃんとアドバイスを守らなかったのか……。「もう治ったからいいよね」という自己判断は危険なのです。

將軍家御齒御勞再發云々。

※『吾妻鏡』建久6年(1195年)8月19日条

【読み下し】将軍家、御歯の御労り再発とうんぬん。

【意訳】頼朝の歯痛が再発したとのこと。

それから7日ほど経って、少し歯痛がよくなった頼朝は舟を出して三崎まで遊びにいきました。現代の感覚なら、豪華クルージングと言ったところでしょうか。

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