源平合戦など興味なし!和歌に生きた藤原定家かく語りき【鎌倉殿の13人 外伝】 (2/3ページ)
治承4年(1180年)と言えば、永年にわたる平家政権を打倒するべく以仁王(もちひとおう)が5月に挙兵。その令旨を受けた源頼朝(みなもとの よりとも)が8月、配流先の伊豆国で兵を挙げています。
さっそく相模国では頼朝の謀叛を討つべく、大庭景親(おおば かげちか)が軍勢を繰り出し、京都へも使者を発しました。

その使者が京都に到着し、頼朝追討のため平維盛(たいらの これもり。平清盛の孫)が軍勢を整えている……そんな中でこの日記です。
読み下すと「世上の乱逆追討、耳を満たしこれを注がざると雖(いえど)も、紅旗征戎(こうきせいじゅう)は吾が事にあらず……」。
世の中は東国征伐の噂があふれて、これ以上耳に注ぎ込むことができないほどと言いますから、よほど戦争の話題にうんざりしていたのでしょう。
ちなみに紅旗征戎とは、天子(天皇陛下)の命を受けた官軍であることを示す紅い旗(いわゆる「錦の御旗」)を掲げ、戎(ゑびす。外来は異民族≒野蛮人の意、ここでは野蛮な謀叛人を指す)を征伐すること。すなわち戦争を指します。
畏れ多くも一天万乗の聖上陛下に逆らい、謀叛を起こす朝敵を征伐する。これ以上ない大義名分を掲げた義挙であろうと、しょせんは荒事に過ぎません。
和歌という芸術に生きる自分には一切関係ないことだ……私的な日記とは言え、そう言い放ってしまう定家の姿からは、いっそすがすがしさも感じられます。