北条義時に毒を盛った“のえ”が平六と共謀し…北条泰時との家督争い「伊賀氏の変」とは【鎌倉殿の13人 後伝】 (2/5ページ)

Japaaan

また裏切った平六……駆け足でたどる「伊賀氏の変」

六波羅探題として京都を守護していた泰時の元へ、義時の訃報が届いたのは6月16日。6月26日に北条時房(演:瀬戸康史)や足利義氏(あしかが よしうじ)らと鎌倉へ戻ってきました。

大河ドラマでは承久の乱(承久3・1221年5~6月)の後、泰時らが一度鎌倉へ戻ってきているような場面がありましたが、『吾妻鏡』を読む限り京都~鎌倉間を移動した記録はありません。恐らく、5月21日の首途が今生の別れとなった可能性が高いです。

【ちなみに義時の息子たち】
長男・俺たちの泰時
次男・北条朝時(演:西本たける)……母親は前室・姫の前(比奈。演:堀田真由)
三男・北条重時(しげとき)……母親は姫の前
四男・北条有時(ありとき)……母親は側室(伊佐朝政の娘)
五男・北条政村
六男・北条実義(さねよし。後に実泰と改名)……母親は後室のえ(伊賀氏)

※有時は政村より先に生まれていますが、側室の子だから元服順は一番最後で末っ子扱い。
※朝時と重時の母は滅ぼされた比企氏の出身なので後継者候補から脱落。側室の子は論外……となれば、後継者候補は自然と泰時と政村(あるいは実義)に絞られます。

執権は絶対太郎に!政子が言えばそれで決定(イメージ)

葬儀は6月18日に終わっていましたが、悲しむ暇はありません。

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